なんでも、「新しい」ことが良しとされた時代。
戦後、昭和20年代後半〜30年代前半が 着物にとってはまさにそんな時代。
その時代の「新しさ」。実は今見ても新しかったりして…。
そんなお話を、インスタライブでしてみました。
じぞうの着物沼からこんばんは#3
この動画でお話ししたこと、そしてその後調べたことなど
簡単に覚書としてまとめておこうと思います。
昭和の新素材の話
戦後、「新しい」繊維がたくさん開発されました。ビニロン、アロン、ベンベルグ…
どの繊維もおそらく開発秘話というか、きっといろんなエピソードがあると思うのですが、
私がたまたま目にした中で印象的だったのが
クラレのビニロンの話。
「石の着物をつくるんだ!」
っていうめちゃめちゃパワーワードが印象的なお話です。
日本はかつて繊維業が盛んでした。
社会の授業でやりましたよね?
生糸の輸出No.1を誇っていましたが、いつしか工業国になっていきました。
その理由は戦争。
繊維の元になる綿花や羊毛などが輸入出来ず、工場も軍需工場に変わり、日本の繊維業は危機に陥ります。
そこで、輸入に頼りすぎずに繊維を作るには?と考えて 石の着物 となるわけです。
なんなんだその発想。
ものすごくドラマチックで面白い話なので、興味があったら読んでみてくださいね。
東邦レーヨン、アロンちゃんの話
動画に補足を付け足してる時に知ったんですけど、
東邦レーヨンのアロンという繊維、まさかのキャラクターがいました!
その名もアロンちゃん。
なんだこれ。めちゃかわいいぞ。
アロンについて調べると、アロンちゃんしか出てこなくて、繊維については詳細がよくわからなかったのですが
当時の広告の写真を見ると、
「強力アセテート」とあります。
アセテートとは、木材パルプを原料とした半合成性繊維だそう。ふむふむ。
絹のような手触りで、撥水性がある。摩擦には弱い。プリーツ加工とかはしやすいらしい。
あと、生分解性があるので、環境にも優しいらしい。へー。
今、アロンの着物があるのかはよく分かんないけどね。
当時ものならもしかしたらアロンの着物があるかも??
関係ないけどアロンちゃんのグッズ欲しいなあ…。
ついでにベンベルグの話
ちなみにベンベルグは裾除けなどによく使われてます。キュプラの中のベンベルグというブランドだって。
これも半分は天然繊維。再生繊維と呼ばれるジャンルになるっぽい。コットンの種の周りの産毛をつかって、それを溶解・精製して出来たもの。裏地などによく使われる。
元々コットンなので、木綿と同じように染まる。(実証済み)
裾除けを前に染めた時に、てっきり化繊だと思い込んでたので きっと染まらないんだろうなー。っておもってたら、超綺麗に染まって驚いた。
意外と今も身近なベンベルグであります。
新時代の着付けとデザイン
戦後すぐくらいの着付けで特徴的なのは、衿周り。
苦しそうなくらい詰めた衿、衣紋もあんまり抜きません。
半衿がほぼ見えず、帯幅も細め。なんとなくワンピースっぽく見えるような印象です。
帯揚げもすっきり…っていうか、使ってない着こなしも多いです。
そして、攻めたデザインが提案されてます。
フリル袖にケープ袖…定着しなかった攻めたデザイン
昭和28年 図解和裁百科事典 主婦之友新春特別号付録より
和服の線を生かし 型を自由に破った着物
かなり自由な提案をされている山脇敏子先生。
写真の上の女性のようですね。
中にブラウスを着ることもおすすめしています。さすが!
衿のデザインも立ち襟のようだし、お袖はケープ。
着物風ワンピースだよね。っていうか、本文にも日本風ワンピースって書いてあるわ。
フリル袖の着物。
袖にばかり目が行きますが、よく見ると衿先にもフリルが…。
カラーで見たかったなー。残念ながらこちらの仕立て方は載ってませんでした。
コーリンベルトと高林三郎先生
私も、この婦人画報さんの記事で知ったんですけどね。
みんなが今使ってるコーリンベルトを開発したのは高林三郎先生。
これを読んで、すっかり高林三郎先生のファンになった私。
昭和30年前後の雑誌に、先生のデザインがよく出ています。
真ん中が高林先生のデザイン。
その名もコーリンコート!!笑
テープとボタンで着付ける着物をデザインしたり、簡単な着付けにこだわってる方なイメージなのですが こういうデザインも作ってます。
亀甲縛り?!な着付け解説
なんでこうなった…。笑
ちなみに、その前の写真はこれ。
サァみんなで考えよう!!
正解がわかったらコメントやDMください。
見事当たった人にはプレゼント。はありませんが…
ヒントは後ろ姿です。
続々出てくる着付け新アイテム!!
昔から着付けの便利グッズはあるのですが、
着付け教室、着付け学院の普及と共に オリジナル便利グッズが続々登場。
昭和40年代以降ですかねー。
「新だて締め」金具付きの伊達締めですね。
多分これと同じようなものだと…。(私物)
このタイプの伊達締め、他の本では
「きものサッシュ」でした。うちの伊達締めもシャーリング入ってるからこっちに近いかな?
面白いですよねー。やはり着付けやすさを追究すると、みんな似てくるのは当たり前。でもちょっとずつ違う。(はず)だってオリジナルだもの。
着付け教室ときものルール
着付けのやり方解説とともに、必ず誌面にはマナーやエチケットについて載っています。
戦前の雑誌にも、もちろんそういう一般常識的なことは載ってるのですが、
着物の時はこうするべき。みたいな感覚は戦後からな気がします。
なんでそうなったのか?
その辺の経緯がこちらの本に載ってました。
昭和初期までは、確かに着るものも髪型も身分や職業、年齢ではっきりと違いがありました。
それが戦後民主主義でみんな平等になり、どんな身分のどんな人も好きな格好ができるようになります。
戦争中はモンペや国民服。着物でもお袖を切ったり。
それまでは各家庭で伝えられてた着物の着方が伝わらなくなり、そこで着付け教室の登場です。
きもの解体新書によると、
収入を失った貴族の奥方や、宮家の人たちが、着付けの先生をして路銀を稼いでいました。
とあります。
実際どうだったのかは、私はまだ調べられていませんが、確かに納得のいく話です。
つまり、貴族階級の着付けが、着付け教室で教えられるようになり、戦後の着物マナーや着付け方になっていったと。
普段着の着付けは、素材も滑りにくいから気軽に着られるけれど
よそいきの着物は、難しいですもんね。
着付け教室ブームのおかげで、現代までちゃんと着物が伝えられて、和服産業もなりたっていていて、今があるわけです。
着付けのやり方やマナー的なものも、教室があったからある程度統一された訳ですしね。良かれ悪しかれ。
ただ、きっちりしすぎたが故に、着付けって難しいって思われてしまった部分もあるのかなー。と。
そして、成人式の振袖や 卒業式に袴を着る風習も実は戦後にできた風習。
成人の日の制定は1948年公布・施行。
昭和23年である。戦後間もない時期であり、振袖を着るというわけではなかったようだ。
このチラシ、成人式おめでとうって書いてあるのになんか違和感ありません?
そう。振袖じゃないの。
そして、チラシのどこにも振袖の文字がない。
婚礼衣装のところに振袖模様の文字があるだけ。
今だったら大きく成人式と書いてあったら振袖のチラシになりそうなものだが、おそらくこの時は成人式といっても
必ずしも振袖ではなかったのではないだろうか?
以前の私のツイート。日本のきもの の本を買った時のもの。昭和40年代では、訪問着を着ていたような記述もある。
卒業式の袴も、流行ったのは漫画の「はいからさんが通る」以降だという説もあるしね。
ちゃんと私は検証してないけど。
当たり前だと思っていることは意外とそうじゃなかったり。調べ物は面白い。
着物沼インスタライブのこと
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